瑠駆真の言葉に、美鶴は軽く生唾を飲む。
「美鶴?」
「突き飛ばしたよ」
ここで嘘をついたところで何の得になる? それにきっと、瑠駆真相手に嘘を突き通すことなど、きっと無理だ。
「美鶴」
「腕にしがみついてきたから、振り払ったら校舎にぶつかった。突き飛ばしたって言うならそうかもしれない」
開き直ったかのように早口で答える。
「しがみついてきた? 緩が?」
眉を潜める聡へ向かって、軽く両手を広げる。
「そう」
「何で?」
「知らない」
「急に? ワケもなく?」
「そっ」
そうだと答えようとして、思い返す。
「こんなところで、何をなさってますのっ!」
緩は、美鶴の立ち聞きを咎めようとしたのだ。立ち去ろうとする美鶴を、逃げるなと引きとめた。
小童谷陽翔との会話。瑠駆真はきっと、美鶴には聞かれたくなかったはずだ。
「美鶴?」
立ち聞きを咎められただなんて言えない。言えば、小童谷と瑠駆真の会話を聞いていたことがバレてしまう。
「美鶴?」
「理由なんて知らない」
吐き出すように答え、視線を背ける。
「美鶴?」
「理由なんて、私の方が知りたいよ」
「美鶴……」
瑠駆真の、大きな瞳の奥から向けられる真摯な光が、痛い。
「私は別に、あの子に何かしたワケじゃない。理由なんてわからないよっ」
視線を背けたまま声を荒げる美鶴の姿を、瑠駆真はジッと見つめ続ける。その視線は、鋭くはないが強くて揺るぎがない。
「ひょっとして」
しばらくの後、瑠駆真が口を開く。
「美鶴、聞いてた?」
息を呑む。その音は、瑠駆真にも聞こえただろうか?
規則正しく時を刻む時計。時々思い出したかのように温度を下げ始める冷蔵庫。
「聞いてたんだ」
「何を?」
決め付けるような瑠駆真の言い草に、美鶴は思わず顔をあげる。視線がぶつかる。
「何の事? 聞いてた? 何を?」
できる限り不自然にならないように。たとえ無駄だとわかっていても、ここはなんとしても惚け通したい。
「何を聞いてたって言うの?」
瑠駆真が知られたくないという過去など、美鶴も別に知りたくはないのだ。聞いてしまったからといって、またここでイザコザは起こしたくない。だったら、聞かなかった事にした方がいい。
「聞いてたんだろ?」
「何を?」
瑠駆真相手に嘘を突き通すことなどできるわけはない。
それはわかっている。
だが、それでも、ここは絶対に認めてはならない。
挑むような美鶴の態度に、瑠駆真は無表情で応じる。
甘くて、柔らかくて、吸い込まれてしまいそうなほど黒々とした瞳。負けるものかと睨み返す。
そんな二人の脇で、モソリと長身が身を捩った。
「お前ら、何言ってんだ?」
蚊帳の外状態が気に入らないのか、聡が少し不機嫌そうに口を挟む。
「瑠駆真、お前、何言ってんだよ?」
聡の言葉にハッと視線を外し、瑠駆真はペットボトルに手を伸ばす。聡が手にしているのとは別で、こちらは500ml。
「何でもない」
「この状況で、何でもないはないだろう?」
「何でもないんだよ」
聡には、知られたくない。
迂闊だった。
ゴクリと清涼飲料を飲み込む。
口ごもる美鶴を見て、一瞬閃いてしまった。小童谷陽翔との会話を、美鶴は聞いていたのではないか? と。
聞かれていた。
そう思うと、少し目の前がクラクラした。
聞いていないと言って欲しくて、思わず尋ねてしまった。だが、実際に否定する美鶴の姿はまるで惚けているかのようで、逆に瑠駆真の身の内に確信が広がる。
美鶴は小童谷との会話を、聞いていたのか。
僕の過去――――
知らずに唇を噛み締める。
「瑠駆真?」
「君には関係ないよっ」
焦りと憤りが競りあがり、爆発しそうなのを必死に抑える。
聡には知られたくない。この男には、弱みを握られてはならない。
「なんだよ? その言い方」
「なんでもないよ。気にするな」
刺々しい態度を隠しもしない瑠駆真。聡でなくとも不愉快になるのは当然。
「気にするなって言われると、余計に気になるだろっ」
「じゃあ何って言えばいいんだ?」
「だから、何?って聞いてるんだから、質問に答えろよっ」
「関係ないったら関係ないんだっ」
「っんだよっ! その言い方っ!」
堪らず聡が立ち上がる。怒りを込めて見下ろすが、見上げる瑠駆真も怯まない。
「俺が何したって言うんだよっ!」
「君が余計な詮索をしようとするからだろっ!」
瑠駆真もついに立ち上がる。長身の二人が向かい合うと、それなりに迫力だ。
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